私の初めてのふじてん
2021.10.22こんにちは。YAMABUSHI TRAIL TOURガイドの平馬です。
前回の『ふじてん』の記事を読んでいただきましてありがとうございました。
自転車とは無縁であろう方から「面白かった」と言っていただいたのが嬉しかったです。
というわけで調子にのって、私が初めて『ふじてん』に行った時のことを書いていこうかと思います。
前回の記事が表ならこちらは裏。
陰と陽、合わさりて補完となりますのでぜひ合わせてお読みくださいませ。
私がマウンテンバイクに乗り始めて早7年。
ガイドとして1人でお客様を案内するようになってから6年が経ちました。
私は生粋のインドア派で、休日ともなれば家から一歩も出たくない、もっと言えば机の前から動きたくない、そんな33歳、蟹座のA型男性です。よろしくお願いします。
シャチョー松本潤一郎に誘われ初めて『ふじてん』を訪れたのが2014年9月のこと。
久しぶりの県外遠出ということで妙にワクワクいてたのを覚えています。
ぬるく湿っぽい空気を纏う西伊豆から北へ。冷たくほんのり乾燥した空気を味わっていると、ところは山梨県鳴沢村、ふじてんに到着しました。
平日の昼間からマウンテンバイクとやらに乗る物好きなんていないだろうという予想の通り、駐車場はその広さがよく分かる程度に車が停まっていました。
その一角、生い茂る木々の下にひっそりと佇む人影が。
オートバイと見紛うイカツイ自転車と、これまたイカツイ装備のおじさんがたくさんいました。
修学旅行で初めて訪れた東京で、膝まで届くほどの特大パチモンバスケユニフォームを買わされる直前の中学生のようにドギマギしている自分が恥ずかしく、
精一杯『やってる感』を出してみましたが、車載のためにバラした自転車の車輪もロクに組み付けることの出来ない私は、他の誰からみても一番『ド素人』でした。
受付を済ませてゲレンデを見ると、リフトに行列を作るたくさんのライダー、と富士山。
中にはパジャマのまま走っている人もいたりして、着替える時間を惜しむほど好きなんだと少し引きました。
後から分かりましたが、あれはパジャマではなくレースジャージというちゃんとした装備でした。すいませんでした。
リフトの列に並ぶと右も左も後ろも前も自転車ばかり。
人々は皆、パジャ、レースジャージ越しにもハッキリとわかる、四肢と胸部には鎧のようなプロテクターを見に纏い、頭部はこれまた甲冑のように頭部を覆うフルフェイスヘルメット、MM(マジックミラー)を彷彿とさせるBIG BOSSライクなゴーグルを身につけていました。
そんな彼らのゴーグルに移る私はの姿は、不安を拭いきれない虚な表情、上着はシャチョーのお古、下は1,980円のデニム風、すでに限界を迎え、あとはトドメを刺されるのを待つばかりのシューズ、そしてあの場においてはほぼ裸同然なノープロテクターでした。
列の最後尾に並び、一歩ずつ進んでいきます。
振り返れば、並び始めた場所は遠く、自分との間にはたくさんの人が。
意外と回転早いのでボーッとしてると危ないですよ。
順番が来て自転車をスタッフに渡そうとすると「まだ入らないで!」とお叱りを受け、リフトを待っていたつもりが「赤い線まで下がって」「はい、早く乗って」とお手を煩わせました。ものの1分で3回も粗相をするなんぞ素人の極みです。
初めてなんだからわかんねーよ!と拗ねていましたが、しっかりジャパン語で案内が書かれていましたので自業自得でございます。その節はすいませんでした。
リフトを降りてからも自分のバイクを受け取り忘れる始末。何しに来たんだホントに。
そしてシャチョーとTさんの先導でコースに向かい、初めてのライドが始まりました。
あれほど周りが見ていなかった私の目にも、コース入り口に描かれたドクロマークはしっかりと飛び込んできました。
『DANGER/上級者ONLY』
その文字列を脳みそが理解する頃にはすでにコースに入っていました。
きっと何かの見間違いだ、だってほとんど平らじゃないか。確かにちょっと根っこがあるけど走れる走れる。
すると突然、崖のような急斜面(に見えただけ)が現れ、路面は岩がむき出しになっていました。
いやいやいや無理無理無理、こんなとこ無理無理無理
すると大混乱の頭のなか、妙に冷静な何番目かの自分が閃きます。
待てよ、自分の前にはおじさんが走ってる。おじさんと自分は同じ人間、なら同じようにできるはず。
そうか!前の人と同じように走ればいいんだ!
そう思って前を見ると、もう誰もいませんでした。
おじさんの代わりに木道(ラダー)が目に入りました。
なんだちゃんとした道があるじゃん、これなら余裕っすわ、そりゃそうだよこんな崖(に見えているだけ)は誰も走れねーだろ、と木道に踏み入れました。
するとものの1mで道はスパッと無くなっていました。
なす術なく前輪が宙に飛び出し、直後にはこれはもう色々イッたでろうものすごい衝撃を感じました。
作るなら最後まで作ってくれよと、見当違いの文句が頭を巡っていることに気付くと同時に、何故が自転車も体も無事で走り続けていることにも気づきました。
作りかけの道に入ってしまい無事だったなんてまるで漫画じゃん!ドラマ化決定じゃん!ハリウッドじゃん!こんなことは『ふじてん史上初』なんじゃないかとさえ思いました。
命をかけた偉業を成し遂げ、凱旋の如くシャチョー達に合流。
いかに大変なことが起こったかを鼻息荒く話す私を「へぇー」と一蹴してさっさと走り出していきました。
後から分かりましたがあれは『ドロップオフ』でした。
そして木道の左右の足元には『ここは技術いるよ』という意味の林家ピンクな目印ちゃんとありました。
『こっちが安全よ〜』と手招きしてるように感じた私の轍はもう踏まないようにご注意を。
その後もよちよちライドの私をシャチョー達が待つ、ボロボロの私到着、笑われる、また置いてかれるという状態が続き、2本目で早々に離脱。
したかったのですが「とりあえずもう一本は行こう」の一言で気づけばリフトに乗っていました。
すでに握力は無くなりかけてなんだかボーッとしていて、この時すでに『オーバードーズ』気味に自分の限界を超えていました。
これが終わったら休める、それだけを支えに下り始めると今までと何かが違います。
それまで振り落とされないようにハンドルを握っていた手に力が入らず、
回らない頭では恐怖を感じることも、路面の岩や木の根をいちいち確認する余裕もありませんでした。
満身創痍とも思える状態の中、パンク状態になった脳みそは情報の処理をやめ、視線は前方に固定されました。
握りしめることが出来ない手はハンドルに置いておくだけで精一杯、空気椅子のように固定された膝にも力が入りませんでした。
するとどうでしょう。路面の起伏や岩に弾かれるバイクの動きを俯瞰的に感じることが出来ました。
前を向いていることで次に来る衝撃が予想できるようになり、毎回飛び出しそうになっていたコーナーに対しても曲がる心構えができるようになりました。
そしてシャチョー達に合流する時、最後のライダーがたったいま止まり、自転車から降りる姿が見えました。
自分でも何が起きたのかよく分からず呆然としていると、「(追いつくのが)早くなったな」と先程のドロップオフの時とは違う反応がありました。
何が起こったのか、その答えが知りたくてそのまま続けてリフトに乗り込みました。
さっきと同じコース、それまで路面ばかり見て茶一色だったコースが全く違って見えました。
今度はロックしていた後輪が滑るのが分かりました。
回数を重ねるごとにシャチョー達の待機時間が減り、『乗れてる』感覚が沸々と湧いてきました。一度沸いてしまえばすぐには冷めず、脳は『楽しい』に支配されていました。
とっくに限界を迎えていた脳を騙しながら走り続け、禁断のジャンプレーンに足を踏み入れてしまいました。
一度目は勢い任せに突っ込み、前輪がフワッと浮いた感覚を味わいました。
快楽にも似たあの浮遊感をもう一度味わいたくて更に高いジャンプレーンに挑戦。
1回目よりも浮いた。ジャンプって意外と簡単じゃん!
3回目は力任せにハンドルを引き抜くように持ち上げました。とにかく前輪を『上げる』事ばかり考えていた結果空中で姿勢が崩れ、転倒こそしなかったもののペダルから足を踏み外して脛を削りました。
そこで我に帰り、その日のライドを終えました。
帰りの道中、オーバードーズでオーバーヒート状態の脳が冷め始めてゆっくりとその日の出来事を振り返り始めました。
よく怪我しなかったなという場面の連続で、結果的に”運が良かっただけ”の一言に尽きる1日でした。
しかしその後もオーバードーズは止められず、もとい止めさせてもらえず繰り返すことになるのですが、やはり自分1人では心のブレーキが働き過ぎて限界を越えられず、いつまで経っても同じ所を堂々巡り、成長は見込めませんでした。
ホント心のブレーキXTRとはよく言ったものです。
オーバードーズを伴うライドは、到底万人にオススメできるものではありません。
しかし、引きこもりで体力もなく、マウンテンバイクに全く興味が無かった私がこうしてガイドとして皆さんと楽しい時間を過ごすことが出来たのも、これまたオーバードーズの賜物なわけです。
以上が私の初めてのふじてんでのライドでした。
この日の経験を活かし、ビギナーがいかに安全にマウンテンバイクを楽しめるかを綴ったのがこちらになります。↓
少しでも皆様のマウンテンバイクが豊かになりますよう祈りを込めて。
いつか一緒に走りましょう。アディオス。