TRAIL TRIP IN CAUCASUS〜いざ!はるか Atsunta passへ!〜
2017.10.29お疲れ様です、平馬です。
前回、標高1500mに位置するシャティリの村を出発しました。ここから約100kmのオマロの村に向かうバイクパッキングのスタートです。
そしてこの旅の最大の難関、標高3464mのアツンタ越えが始まります。
アツンタまでのルートは、コーカサスの山々の谷の底を流れる川に沿って進みます。
高所から低所へ、地球の重力に素直に従う川の水が、僕らの正面から背後に流れていく様を横目に見ながらペダルを踏み出しました。
まずは次の村であるMutso(ムツォ)を目指してダブルトラックを進んで行きます。
天候は晴れ。傾斜も緩く、やっと山から顔を出した朝日を眺めながら気持ちよく走れました。
谷の底を走るこの道の日照時間は短く、九月終わりのこの時期では立ち止まると少し肌寒いくらいの気温。
道中、こんなダイナミックな地形があちこちにあります。
近くの民家兼ゲストハウスで薪として使うのでしょう、大量の丸太が詰んでありました。
これを見て、日本に帰ったら薪割りをせねば。とすこーしブルーになりました。
道沿いの山の斜面には、写真のような薄く割れた石が沢山あります。周りの山肌を見ると、斜め45度ほどの角度の無数の細かい平行線が見てとれます。
これらの石を使って、
このような壁が出来上がるわけですね。日本にも多く見られる石積みのコーカサス版といったところでしょうか。
さらに進むと一台のトラックが。よく見ると若者が石を拾っています。
BOSSが聞いたところによると、この先のにある石の砦の修復に使うのだとか。
日本から来たと伝えると「NINJA!」と騒ぐ彼ら。シュシュシュッと手裏剣を投げる真似をするとさらに盛り上がる彼ら。
忍者戦隊カクレンジャー世代の僕は、調子の乗って忍術も見せてやろうと思いました。
しかしいざやろうとすると印の結び方が分からず、何を思ったか薬師如来印を結んでしまい「なんだそれ」と急に冷めた目になった彼らに別れを告げて再び走り出しました。
そこから程なく、体感的にはあっという間にムツォの村に到着。
村といっても、道沿いに数軒の建物がある小さなもので、オフシーズンということもありひ人気はほとんどありませんでした。
地図でいうとこの辺り。あれ?!もう半分近く来てるじゃん!と安堵していましたが、半分というのは地図上にしか過ぎず、まさに残り半分が鬼門、実際の進捗は20%ほどでした。
そんな中、タレ眉にぽかんと開いた口、ちょっぴり赤く染まった頬がなんとも愛くるしい表情の車を見つけました。
名前は忘れましたが、BOSSが欲しかった車とのこと。
記念にパシャり。
ここまでの道の傾斜のゆるさと走りやすさはムツォ〜シャティリ間で人の行き来があったからなのでしょうか、急に傾斜がきつくなり始めOSHIAGE STYLEに。
この辺りからどこからともなく子犬が現れ、僕らを先導するでも遊んでいるでもなくついてくるようになりました。最高でした。
その後は橋を渡り、
休みながら、
雄大な山々を眺めながら、
国境警備隊のチェックポストまでたどり着きました。
この地域はロシアとの国境が近く、稜線の向こう側はロシア連邦北カフカース(コーカサス)連邦管理区に属するチェチェン共和国のため立ち入りの手続きが必要となります。
パスポートを提示し、どこからどこまで、何日間の日程なのかを聞かれ書類をもらいます。
『MATSUMOTO JUNICHIRO』と書かれかパスポートを見て、「マァーツー、モートゥォ⤴︎、、ユニチロ?」と問う警備員。
「YES」と答えるユニチロ。前回も書きましたが、ジョージアでは『J』の発音が『Y』になります。
次に『HEIMA KEITARO』に対し「ヘィ⤴︎マ、、カイタァ⤴︎ロ?」と問う警備員。
「‥いえす」と答えるカイターロ。昔住んでいたロシアでもそうでしたが、『ケイ』とは読んでもらえずずっとカイタローでした。
ともあれ無事に通行証をゲットして先へ進みます。
ここからは一気に道幅が狭くなり、いよいよ秘境に来たという時間が湧いて来ます。
写真では左側にまだ車の通った跡が見えますが、ほんの数キロでこの道もほとんどわからなくなります。
代わりに現れるのは、山肌を血管のように這う細い放牧の道です。
そのためところどころにこうしたペイントが施されています。これが、この道が正しいルートであることの証明であり、真ん中の色でそのルートの目的地、種類を示しています。
このマークはこの先いたる所で目にすることになり、人一人がやっと通れる道でこれを見つけた時には「よかった、この道であってるんだ」という安堵と「マジか、この道であってるんだ‥」というハイブリットな感情を僕にもたらせてくれました。
道幅は狭いながらも傾斜は緩く、順調に進んでいました。
ずっと川沿いに進んで来た僕らは、目の前の道が急に弱々しく消えかかり、何やら川の対岸にはっきりした道があるのを目の当たりにしました。
どこかで川を渡り損ねたかしらと考えながら対岸の方に目を向けると、直径10cmほどの木が川を渡るように倒れているのが目につきました。
流れ着いた流木かしらとよくよく見て見ると、両サイドが石で固定されているではありませんか。
そう、これ橋でした。
BOSS曰く『今まで見たことのない真剣な表情』で橋を渡りました。
ふわふわとたわむ橋を渡り終え、果たして落ちていたらどうなっていたのかと思った僕は、近くになった150cmほどの木の枝を拾い川にさして見ました。
結果、川底までは届きませんでした。渡りきったからいいものの落ちていたら‥と考え、もう二度とこの橋は渡るまいと思いました。
しかし、10分ほど休憩したのち地図を確認していると、ルートを間違えていたことが判明。
本来の登り口を1kmほど過ぎていて、二度と渡るまいとついさっき思った橋を再び渡りました。川底が予想よりはるかに深いことを知っている2回目の恐怖は初回の比ではありませんでした。
子犬もいつの間にかいなくなっていました。
無事本来のルートまで戻った僕らを待っていたのは、無慈悲に等高線を貫く険しい道でした。地図上ではこの辺りです。
日本にいる時からうすうす気づいていた、とても乗って登れる斜度じゃないということを確認してバイクのペダルを外しました。再び装着する機会があることを願いながら。
そして登頂開始です。
やはり全体的に斜度はきつく、50mほど進んで一呼吸、また進んで一呼吸、1kmほど進んだら休憩、の繰り返しでした。
登り始めてすぐに、後ろからえらく軽装、というか何も持っていないおじさんが登って来ました。彼は軽く会釈するとひょいひょいと歩を進め、気づけばはるか上の道を歩いていました。そして僕らがキャンプ地にたどり着く前に、今度は大荷物を背負って下りて行きました。
標高が上がるほどに険しさを増す道。『押し上げ』より『持ち上げ』が多くなります。
それでも、周りの山々を見ると確実に標高が上がっているのが分かりました。
一体いつになればたどり着くんだと感じる果てしない道のりの中でも、少しづつだけど着実に進んでいる実感がわきます。
途中、枝が切られてた跡を見つけ、人間の行き来を感じました。
と、何やら楽しそうな格好の実に励まされたような気もしました。
さらに標高は上がり、森を抜け草原地帯に出ました。
一気に視界が開けた開放感から周りを見渡すと、さっきまでその中を歩いていた森が眼下に広がっていました。
気がつけば日も暮れかけ。なんとか最初の関門を突破した僕らはここをキャンプ地とすることにしました。
ここで取り出したるは、『A&F CORPORATION』(株式会社エイアンドエフ)様よりサポートしていただいた、『HILLBERG』社製の『ROGEN2.0(ルーガン)』なるテントです。
軽量、高強度なテントで張るのも簡単。キャンプ童貞だった僕でもすぐに張ることができました。
遠征前の予行演習で裏山生活をした時にも使用しました。一人だと広すぎるほどのスペースで通気性もよく、湿気の多い西伊豆でも快適でした。
二人でも十分なスペースがあります。中は暖かく、吹きすさんでいた風の影響もありませんでした。
移動中は写真のようにバイクのハンドルバーに装備。かさばることなく軽量なため問題なく走れます。
テントを張り終えるとどこからか人の声が。振り返ると、声と枝で巧みに羊を誘導する羊飼いのおじさんが。
カメラを向け写真を撮っていると、
数匹が僕に気づき立ち止まるとそれにつられて列全体が立ち止まりそれに気づいたいおじさんが僕らに気づき歩いてきました。
それにしてもめっちゃ見てくるやん。
とてもフレンドリーかつ味のあるおじさんは笑顔で僕らに話しかけてきてくれました。
ジョージア語で話すおじさんが何を言ってるかはほとんどわかりませんでしたが「向こうに水場がある」ということだけはわかりました。
太陽が山に隠れるとあたりは一気に薄暗くなり、
あっという間に夜の闇に包まれます。
さっきまで吹き荒れていた風は止み、耳鳴りがうるさいほどの静寂が訪れました。
そんな静けさに耳を傾けるうちに、気がつけば寝ていました。時刻は7時半頃だったと思います。
明くる朝、夕暮れとは対照的に青々とした景色のなか目覚めました。
日の出が遅く、夜明けの空気が張り付いたままの景色はとても美しかったです。
ここから今回のメインディッシュである峠越えが始まります。
荷物をバックパックに詰め出発の準備を整えます。
不思議と体に疲れはなく、快調なスタートとなりそうでした。
今回僕らが背負って行ったバックパックは、テントに同じく『A&F CORPORATION』(株式会社エイアンドエフ)様よりサポートしていただいた『MYSTERY RANCH』社のものです。
BOSSは『COUREE25』僕は『SCREE』というモデルを提供していただきました。
このバックパックは”無段階調整が可能なハーネスシステムでユーザー1人ひとりに最適なフィットを実現”するというユニークなもの。
XS〜Lまでのサイズに加えそこからさらに個人の体型に合わせて無段階にフィッティングが可能になっています。
これにより背負った時のフィット感が増し、重さの分散率も上がり疲れにくく動きやすいというナイスなバックパックでした。
そのほかにも、40年の歴史の中で培って来た技術と経験がふんだんに盛り込まれていますので、気になる方はぜひチェックして見てください。
長くなってしまったので今回はこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
平馬